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腐海のほとりに佇んで    藤下真潮
「りぼんの裔(すえ) 第2回 前田由美子の件」
初出:「漫画の手帖 68号」 2014年10月25日発行


 今回行数足りなくなりそうなので、毎度恒例の余計な前振りは割愛いたします(笑)。

 『りぼん』1976年12月号に第9回りぼん新人漫画賞の記事が掲載されている。かなり不鮮明ながら審査員と受賞者の集合写真も掲載されている。前列の左端には前回取り上げた野口弓子が座っており、その右側2人目にスーツ姿で座っているのが今回話題にする前田由美子である。
 前田由美子、1958年4月14日生まれ、佐賀県出身。『りぼん』1977年お正月大増刊掲載の「トムソンとミシェル」でデビュー。デビュー作発表時は18歳の高校3年生であった。これがとりあえず判明している彼女のプロフィール。

 ・りぼん1977年お正月大増刊 「トムソンとミシェル」
 ・りぼん1977年夏休み大増刊号 「ジェシカ」
 ・りぼん1977年10月大増刊号 「枯葉色の街」
 ・りぼん1978年お正月大増刊 「白い街角」
 ・りぼん1978年10月号大増刊 「グリムガーデンの約束」
 ・りぼん1979年3月大増刊 「飛ぶ日」
 ・りぼん1979年5月大増刊 「若きジョバンニの悩み」
 ・りぼん1980年2月大増刊「ラ・マリオネット」

 そして以上がデビューしてからの作品リスト。デビュー作含め8作品。店主は1979年に大学入るまでは『りぼん大増刊』を購入していたので、すくなくとも6作品くらいはリアルタイムで読んでいた筈である。記憶に残っていた作品は「白い街角」。舞台は19世紀末くらいのロンドンで、酔っぱらいのピアノ弾きサムのところに、感化院から脱走したやたらボーイッシュな少女スノーウィが転がり込むというお話。ちょっと投げやりでちょっとアンニュイで微妙なハッピーエンド加減がとても心地よい作品だった。
 しかしまあ本誌などでは目にすることはなかったし、単行本も出なかったので、そのうち記憶の片隅に転がって行ってしまっていた。
 ここで一旦、前田由美子の話は中断する。

 1992年のことである。店主はまだサラリーマンで、某時計&某電卓会社に転職したばかり。いそいそとPHSの開発なんぞをしておりました。当時は講談社『週刊コミックモーニング』なんぞを愛読していた(ついでにパーティ増刊とかマグナム増刊まで買っていた)。その1992年から93年にかけて連載されていたのが、大前田りん「ガケップチ・カッフェ―」である。連載は1992年42号(10月8日号)〜93年初頭にかけて行われた。
 わりかし気に入った連載で毎回読むのを楽しみにしていたが、92年の年末辺りで一旦連載が中断した。そして翌年の1月に9話まで収録した単行本が発売された。単行本が出て2ヶ月ほどすると、また連載が再開した。しかし再開した連載はわずか4回でまたもや中断(5回目の予告は出ていたが掲載はなかった)。
 『ガケップチ・カッフェー』1巻を購入。2ヶ月後に何故か発行された、松本隆原作『微熱少年』も購入、さらに半年ほど前に既に発売されていた角川書店の『十六桜』も購入。ついでに古本屋で富士見書房の『上原よよぎ物語』全2巻と『ヘイセイキッド』も購入した。
 そんなふうに単行本を集めつつ、連載の再開を待っていたが、結局のところ連載が再開されることはなかった。

 1997年、インターネットが一般に普及する少し前のことである。講談社が「MORNING ONLINE」というサイトを開設した。後に有料化してe-morningと改称されるが、当初は実験的に過去のマンガや描き下ろし漫画を掲載していた。
 そのサイトの掲載作品の中のひとつに大前田りん「ガケップチ・カッフェー」があった。1巻の単行本には9話までしか収録されなかったが、一応連載分の13話まで掲載されていた。ところでそのサイトには今では珍しいことだが、読者と編集部の交流用に掲示板が開設されていた。ある日ふと掲示板を覗いてみると、ある読者から”ガケップチ・カッフェーの続きは描かれないのか?”という質問の書き込みがった。その質問に対して作者の大前田りん本人からの返答が書き込まれていた。それによれば、体調が良くなったらまた続きを描きたいとのことだった。
 そんなわけで淡い期待を持ちながら再開を待ち続けたが、やっぱり連載が再開することなかった。やがて自分の中で大前田りんのことは忘却の彼方となっていった。

 古本屋を初めて3年ほど経過した頃、某コミティアの某中村代表がフラッと店にやってきて、『上原よよぎ物語』全2巻を棚から抜いてレジに持ってきた。そして”大前田りんって、前田由美子のペンネームなんだよね”とのたまわった。思わず”えっ!”と声を上げた。恥ずかしながらその瞬間まで、ふたりが同じ人物だということに全然思いが至らなかったのである。だいたい大前田りんって男だと思い込んでいたし…。

 さてその事実を知って以降気になりだしたのが、如何に前田由美子が大前田りんに変遷したかということだ。りぼんの大増刊の最後が1980年ころ。ポップティーンで「上原よよぎ物語」を書き始めるのが1986年ころ。その5〜6年の間は、どうなっていたのだろう。ヒントは単行本『十六桜』のプロフィール欄に書かれていた、”デビューは『ビッグコミックスピリッツ』”しかなかった。

 小学館『ビッグコミックスピリッツ』は1980年11月号が創刊号。実のところ『ビッグコミックスピリッツ』は「めぞん一刻」目当てで創刊号から1987年ころまで購入していた。でも大前田りんの名前はついぞ見かけたことがなかった。そうなると本誌ではなく増刊号の可能性が高い。しかし本誌はともかく増刊号なんぞは、ほとんど古書市場でも流通していない。

 探し歩いて幾星霜。ついにヤフオクで見つけたのが『ビッグコミックスピリッツ』1986年1月7日増刊号(「GoodLuck ライナス!」掲載)である。この頃は大前田リンで”リン”がカタカナ表記であった。扉の柱書からするともう少し前にも何作品かあるようだ。

 次に神保町、中野書店の棚で『ビッグコミックスピリッツ』1986年3月7日増刊号(「GoodLuck ライナス! じゃんくしょん」掲載)をセドリした。

 米澤図書館で、『ビッグコミックスピリッツ』1985年11月26日増刊号(「日の下開眼クリニック」掲載)を見つけた。

 現代マンガ図書館で、『ビッグコミックスピリッツ』1985年8月26日増刊号(「天国の行方」掲載)も見つけた。柱書を見るとビッグコミック賞入選後第1作のようである。

 ここでハタと行き詰まった。これ以前の『ビッグコミックスピリッツ増刊号』を確認したが作品掲載がない。そんなわけで最後の手段と小学館の知り合いに1985年のビッグコミック賞の情報を確認した。ところが小学館側も初期のビッグコミック賞と最近の小学館漫画賞は情報があるが、80年代の受賞作品は情報が残っていないとの事だった(そのぐらいの情報整理しておけよ)。

 ここで完全に行き詰まった。これが本稿執筆の1ヶ月前のことである(我ながら泥縄だなぁ)。

 そんなわけで腐海のほとりを当てもなくウロウロしているとズヌヌヌヌ!っと女神様が現れて「お前の落としたのはこの金の…」。
 いやいやいやいや、チガウ、チガウ。某古書いろどりの某アルバイトの某サトウ嬢がズヌヌヌヌ!っと現れて「そちの探している情報はここにあるぞえ」と御託宣を垂れて去っていった。ありがたや、ありがたや。

 そうして判明したのがこの情報。『ビッグコミック1985年6月25日号』に、第16回昭和59年度下期小学館新人コミック大賞の入賞者発表の記事があった。そこには一般コミック部門入選 大前田リン(東京都26歳)「だから よお!」の情報が掲載されていた。作品自体は残念ながら掲載されなかったようだが、画像と審査員講評から、マザコンの息子が母親にちょっかい出そうとする、絵柄は大友の「アキラ」をパロったようなSFギャグ作品であったようだ。

 結局のところ大前田りんとしてのデビュー作は『ビッグコミックスピリッツ』1985年8月26日増刊号の「天国の行方」のようである。

 判明したデータをちょっと年表風に整理してみた。

大前田りん作品年表
1977年:前田由美子名義
 りぼん1977年お正月大増刊 「トムソンとミシェル」でデビュー
1980年:
 りぼん1980年2月大増刊「ラ・マリオネット」以降休筆
1985年:大前田リン名義
 第16回昭和59年度下期小学館新人コミック大賞 一般コミック部門入選「だから よお!」(未掲載)
 ビッグコミックスピリッツ1985年8月26日増刊号「天国の行方」(大前田リン名義デビュー作)
 ビッグコミックスピリッツ1985年11月26日増刊号「日の下開眼クリニック」
1986年:
 ビッグコミックスピリッツ1986年1月7日増刊号「GoodLuck ライナス!」
 ビッグコミックスピリッツ1986年3月7日増刊号「GoodLuck ライナス! じゃんくしょん」
 月刊ポップティーン1986年11月号 「上原よよぎ物語」連載開始
 週刊コミックモーニング1986年41号(12月4日号)「微熱少年」連載開始
1987年:
 週刊コミックモーニング1987年4・5合併号、11号,16号,28号,30号(7月9日号)に「微熱少年」掲載。30号の第6話以降掲載中断。
 6月頃、富士見書房から『上原よよぎ物語』第1巻刊行
1988年:
 4月頃、富士見書房から『上原よよぎ物語』第2巻刊行
1989年:
 月刊ポップティーンで「ヘイセイキッド」連載開始(開始月不明)
1990年:
 6月頃、富士見書房から『ヘイセイキッド』刊行
1991年:
 ASUKAファンタジーDX冬の号「西の国から」
 ASUKAミステリーDX冬の号「十六桜」
 ASUKAファンタジーDX夏の号「赤間ヶ浦」
1992年:
 ASUKAミステリーDX3月号「王様とごちそう」
 7月頃、角川書店から『十六桜』刊行
 週刊コミックモーニング1992年42号(10月8日号)「ガケップチ・カッフェ―」連載開始
 週刊コミックモーニング1992年50号9話目で「ガケップチ・カッフェ―」連載中断
1993年:
 1月頃、講談社から『ガケップチ・カッフェ―』第1巻刊行。
 週刊コミックモーニング1993年13号(3月18日号)「ガケップチ・カッフェ―」連載再開
 週刊コミックモーニング1993年16号(4月8日号)「ガケップチ・カッフェ―」連載中断(次号予告はあったが以降掲載されなかった)
 3月頃、講談社から『微熱少年』刊行。

 年表書いていて、3つ気づいたことがある。

 1つ目は、1980年から85年までの空白。77年の時点で高校3年生の卒業時期。大学に行っても順調ならば81年には卒業。大学に行ったのか行かなかったのか、浪人していたのか、就職していたのか、余計なお世話ではあると思うが、やっぱり空白期間が気になる。ついでに『りぼん』のような少女漫画の世界はやっぱり肌に合わなかったのだろうかという余計なことも気になる。

 2つ目は、「上原よよぎ物語」。ネット上の情報では連載は1986年11月号〜88年9月号までとある。ところが単行本2巻目が刊行されたのは88年の4月頃。連載開始時期は雑誌で確認できたが最終回は確認できていない。ネットの情報を信じるならば2巻では完結していないことになる。単行本の2巻目が手元にない(某中村さんに売っちゃたから)ので、確認しようがないのだが、すこぶる気になる。

 3つ目は、「微熱少年」。連載から6年もたった作品を今更刊行したのかは、おそらく「ガケップチ・カッフェ―」の評判がすこぶる良かったので、今のうちに出しちまえということだったと思う。しかし単行本をよくよく見たら全9話の内、連載していたのが6話までで、7話以降は描き下ろしになっている。かなり無理やり刊行したようである。
 「微熱少年」は松本隆原作の小説がもとである。松本隆みずからの監督で映画も作られた。この連載は映画の公開とタイアップされる形で進んだと思われる。映画公開は1987年6月13日。漫画連載の第6話は6月23日の発売号に掲載された。どうして公開時に途中までしか掲載されなかったかは不明であるが、少なくとも映画とのタイアップであった以上は、これ以降連載を続けることは無意味であったろうと思われる。
 しかし、よくよく考えるとこの「微熱少年」の単行本刊行時期が「ガケップチ・カッフェ―」の再開時期ともろにかぶっている。
 週刊連載の締め切りは、通常(余裕をもつ場合)発売日の1週間前くらいである(出版社によって差はあります)。つまりガケップチカフェーの再開10話目の締め切りは逆算すると2月25日ころになる。最終の13話目は3月18日ころとなる。
 一方、単行本の締め切りは通常刊行日の3週間ほど前(出版社によって差はあります)。「微熱少年」の奥付は4月23日だから実際の刊行は3月23日、原稿締め切りは3週前で3月2日。完全に連載時期とかぶってしまっている。単行本化の企画時期がいつかは不明だが、それでも60頁近くの描き下ろしにはそれなりの時間がかかったはずである。
 もともと寡作なタイプの作家に、この進行はかなりキツかったのではないかなぁ。ひょっとして体調崩したのはこれが原因だったのかもしれないなぁ。今となっては本人に聞けないので単なる憶測でしか無いけれど。

 この原稿を書くにあたって、さんざん単行本を読み返した。なぜか「ガケップチ・カッフェ―」はちょっと色褪せて感じた。それよりは「十六桜」の世界観に惹かれた。この作品は、小泉八雲の「十六日櫻」を3割ほど、「青柳のはなし」を2割ほど、作者のオリジナリティを5割ほど、お鍋に入れてグツグツグツと3昼夜ほど煮込んで作ってある。なかなか味わい深い作品に仕上がっている。
 読者としては週刊連載ではなく隔月程度で良いから、こんな感じのじっくりと煮こまれた作品を読み続けてみたかったものである。

 次回は「岡本真澄の件」です。


 

 

 あとがき:余計な詮索しているような気がしますが、ようやく自分のかなでちょっと悶々としていた、前田由美子(大前田りん)に関して落ち着きどころができたような。
 全作品を取り上げられたかどうかに関しては、かなり自信がない。ポップティーンやアスカDX系で単行本未収録がある可能性は高いと思われます。発見したらまた補足します。

 あ、ちなみに一番上の画像の集合写真ですが、後列左からりぼん編集長渡辺浩志、一条ゆかり、土田よしこ、巴里夫、もりたじゅん、のがみけいの面々です。

 追記:お客様のご指摘により、「上原よよぎ物語」2巻の情報が判明。それによると単行本は88年5月刊。最終回の掲載は『月刊ポップティーン』88年4月号でした。ネット上の情報が間違えていましたね(^^ゞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京都公安委員会許可第301020205392号 書籍商 代表者:藤下真潮