店主の雑文

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腐海のほとりに佇んで    藤下真潮
「錆びた自転車の車輪を眺めながら 第1回 高山和雅編」
初出:「漫画の手帖 」 

 前編:

 今回のサブタイトルはJ・G・バラードが「NEW WORLDS」誌1962年5月号に書いた有名な言葉から借用しています。その全文はこんな感じです。
 「真の最初のSF小説は…誰も書かなければ私自身が書こうと思うのだが…記憶喪失の男が浜辺に横たわり、錆びた自転車の車輪を眺めながら、その車輪と自分との関係のなかにある絶対的本質をつかもうとする。そんな物語になるはずだ。」
 この言葉を真のSFというものはこんなにも深遠なものだと捉えるのか、それとも真のSFというものはこんなにも退屈なものだと捉えるのか、それは人それぞれだと思う。大体真のSFってナニよというご意見だってあるはずだ。
 しかし深遠〜退屈までの極端な感覚差を持つSF(特にハードSFよ呼ばれる系列)が、文芸などより若干エンタテイメント寄りのマンガの世界でどう扱われているのかをちょっとだけ語ってみたいのです。評論などというオコガマシイ代物じゃございません。たぶん単に大好きなSF(特にハード寄りの)マンガ作品が余り日の目を見ていないことを愚痴るだけの文章となる予定ですww

 てなわけで、第1回目は高山和雅です。おそらくよほどのSFマンガ好きでないとご存じないかもしれません。知名度的には残念ながらそんな感じです。
 あまりメディアの露出がない方なのでプロフィールも簡単にしかわかりませんが、とりあえずご紹介。
 高山和雅(たかやまかずまさ)、1956年生まれ。青林堂『ガロ』1980年1月号掲載、「落差」にてデビュー。判明しているのはたったこれだけ(笑)。
 今回、高山和雅に関する単行本がほぼ収集できたと思われるので(多分ね)、単行本を出版順に紹介しながらツラツラと書き連ねていこうと思います。

『ノアの末裔』青林堂1986年4月発行 『ガロ』不定期連載
 作者の初単行本です。『ガロ』83年4月号〜85年6月号までの不定期で、しかも多い時は34頁、少ない時は10頁とかなりバラバラなペースで連載しておりました。雑誌掲載時は全部で232頁(ちゃんと数えました。暇だねぇ)で、単行本化にあたって加筆修正加えて全294頁。でも第1部完で続きがないんですよ(泣)。
 内容をちょっと紹介。話は三つの世界を平行して描かれる。
 一つ目の話の舞台は現代の新潟県長岡市。ある日の朝、タケシ(多分高校生)が目を覚ましても両親が目を覚まさない。不審に思って同じ団地の幼なじみの家に行っても誰も起きようとしない。それどころか街中の人間が覚醒していないことに気がつく。
 タケシはようやく出会えた学校の教師とトラック運転手等とともに、他の仲間と合流しようと東京へと目指す。
 二つ目の話はおそらく遠未来(ザニオ紀元1285年と記されている)の月面上の要塞。その頃人類は地球政府と外惑星連合とに分かれ戦闘状態にあった。しかしその時既に外惑星連合は人類がつくった機械知性体に制圧され、地球政府の最後の砦である月面要塞オーズン2も陥落寸前であった。その戦闘のさなか突如月面から銀河系中心方向に向けて重力波ビームが放出される。その瞬間月面上の人類はすべて昏睡状態に陥り、再び目覚めたときには能動的な行動を一切起こさない自我喪失状態となってしまった。機械知性体はその原因を探るため重力波ビームの行先であった3万光年先の銀河中心部へ探査船を派遣することを決定する。
 三つ目の話は過去だか未来だかわからない、とある王国(固有名詞や衣装の具合から古代インドを彷彿させる)が舞台。その国では少年少女が念動力や予知などの不思議な力を持っている(大人になると力は消える)。王子ラーマは、予知夢により旅に出て伝説のランカの地を目指す。しかしようやくたどり着いたランカと思われる場所に出現した少女に、この地はランカではなくランカを模したものである、本当のランカは天上(宇宙)にあると告げられる。
 以上3つの話と途中に短い異貌の神との対話によってこの作品は構成されている。三つの話が提示され、これからどのように話が絡み出すのかという段階で残念ながら第一部完となっている。明確に未完とは書いてありませんが、後述するインタビューに上手く描けなかったという話が出てくるし、30年経っても続きが出ないのでまあ未完と考えても良いでしょうか(すごく残念なんですがね)。

 

『パラノイア・トラップ』青林堂 1986年9月発行 『ガロ』掲載
 8篇の短編が収録されている。デビュー作の「落差」も収録。SFだったりファンタジー風だったり不条理系だったりシュール系だったりといろいろバラエティに飛んでいる。「未知」は、オチがつげ義春(実はまだ2階にいるのです)だったりもする。
 ところでこれらの短編の初出をあたっていたら気がついたことが一つ。名義が「高山和雄」(たかやまかずお)となっているものがある。字面が似ているから最初は単なる誤植かと思ったのだがどうもそうではないようだ。


画像1(部分)


 デビュー作の雑誌掲載時はたしかに「高山和雄」名義となっている。よくよく調べたら少なくともガロ時代は高山和雅だったり高山和雄だったりしているようだ。たぶん高山和雄が本名じゃないかなと思うのですが、確かな確証はありません。

 

 『奇相天覚』上下巻 講談社モーニングKCDX 1991年10月発行
 この本は、上下2巻が同時に刊行されました。初出はちょっとややこしい。上巻はコミックモーニング1991年12号〜22号。下巻は全て描きおろし。掲載時の評判が悪かったとは思えないのでどうしてこうなったかはよくわからない。
 話はこんな感じ。
 主人公は天覚(てんがく)という名の辻占い。天覚は、ある日路上で額に小さな角が生やした菊地という男と出会う。その角は、とある角が生えて出生した赤ん坊から移植されたものだという。角にコントロールされるかのように行動する菊地を追跡する内に、長野県の鬼無里村(現:長野市鬼無里地区)にたどり着く。そこで天覚は、驚愕の事実を知る。戸隠山の地下にはコンガラと呼ばれる巨大な遮光器土偶のようなロボットが存在し、龍童と呼ばれる角を持つ種族が現れ、そのコンガラを用いて日本大陸のフォッサマグナを繋ぎ止めている3箇所のタガ(カゴメ)を外し日本を滅ぼすというのだ。天覚は、かつての師匠九鬼参蔵(くかみさんぞう)と自衛隊特殊部隊の協力を得て皇居において龍童と対峙するが、参蔵は殺されコンガラのアクセスキーである独鈷杵を奪われてしまう。
 龍童は戸隠山のコンガラを起動し、地下1万メートルのフォッサマグナの接合面へとたどり着く。激闘の末、天覚は龍童を倒すことができたが、既に一つ目のスイッチは起動してしまう。龍童の意志を継いだ菊地は残るスイッチのある飛鳥三輪山を目指す。ここまでが上巻。下巻は更に話がスケールアップする。
 菊地と天覚は三輪山にたどり着くが、そこには既に鍵となるものが失われていた。7世紀にアイスランドから訪れた役行者が鍵をアイスランドに持ち帰っていたのだ。そして日本列島のタガ(カゴメ)が単なる雛形であり、実は日本の飛鳥、アイスランドのアスキャ山、インドのオリッサ州アスカという膨大なスケールのカゴメが存在していることを知る。やがて舞台はアイスランドのアスキャに移り、天覚と菊池の死闘が繰り広げられる。そしてその死闘の中で、太古の人間が地球規模のカゴメに一体何を封印していたのかが明らかになる。
 半村良ばりの伝記SF要素にアクションやメカ要素もきっちり加わった、高山和雅の現時点での傑作作品だと思う。
 一点だけ余談。作中にフォッサマグナが線として扱われていますが、これは本来フォッサマグナ西端の糸魚川静岡構造線です。フォッサマグナは線ではなく面です。本当に余談だ(笑)。

 『電夢時空』講談社アフタヌーンKCDX 1995年5月発行 アフタヌーン95年2月〜3月号掲載
 主要な登場人物は3人。殺人未遂容疑で逃亡中の町田邦彦。町田を追っていた警部補の渡辺潔。偶然その場に居合わせた主婦の山本千明(のちに町田の幼なじみであることが判明)。ある日東京の一角に人工衛星が落下した。ちょうどその場所に居合わせた三人は爆発に巻き込まれるが、なぜか奇妙な機械生命体に取り憑かれ10万倍の体速度と神経速度を得て難を逃れる。その現象に戸惑う町田と山本の二人に渡辺が突如襲いかかってくる。
 人工衛星とともに落下してきたのは、地球から3万光年離れたある滅んだ星から、消滅した文明の記録を載せた探査機の一部であった。
 渡辺は機械生命体に滅んだ宇宙文明をこの地球上に再現させようと目論む。そして自分の計画を理解しようとしない二人を排除しようとする。通常の十万分の一という特異な時間の進みの中で3人の死闘が繰り広げられる。
 個人的には一番好きな作品である。ただ結構小難しい設定が出てくるのであまり一般受けはしなかったようだ。
 この単行本のカバー折り返し部には、次のような作者の言葉が書かれている。
 「こういう漫画をかいて発表の場を探すことが、私自身の戦いです。もしこの本を買ってくれた人が一人でもいるのなら、そのかけがえのない一人のあなたに、値段と引き換えに何かが伝わると思いたい。」
 ちょっとせつない言葉である。

 後編:

  店主は一応工学系の大学を卒業したんで根は理系なんです。量子物理学も専門ではないですが、一応履修しました。なんで相対性理論くらいは理解しております。でもシュレーディンガー方程式辺りからはかなり怪しいですが(汗)。というわけで一応基本の物理学は把握しております。別に自慢しているわけじゃないんですが、根っこの深いとこがそんなわけなんですよ。
 そーゆー人間がハードSFマンガやハードSFアニメやハードSF映画を見てると、結構頭抱えたくなるような描写に出くわします。
 マンガで例を挙げると色々と差し障りあるんで(汗)、映画で例に上げてみます。2013年に公開された『ゼロ・グラビティ』という映画があります。リアルな宇宙空間でのパニック物として大ヒットした映画です。宇宙空間を描いたSF映画としては今までの映画と比べればかなりリアルですし、充分面白かったと個人的には思います。しかしやはり突っ込みどころは何箇所かありました。宇宙物の定番となっている減圧問題とか2周目のデブリの密度があまりに濃いんじゃないかとか、そこら辺はまあ目をつぶります。
 個人的に一番気になったのはハッチの開く方向です。主人公の女性がソユーズに乗り移ろうとしてハッチが機内圧力で外側に開き頭(ヘルメット)をぶつけるシーンがありますが、明らかに間違いです。宇宙船のハッチは外開きではなく内開きの設計です。これは宇宙船という特殊事情ではなく、扉の内側と外側に圧力差が想定される場合、圧力の高い可能性がある側に扉が開く設計にしなければいけないという基本的なお約束があるからです。なんでかといえば扉のロック機構にトラブルあった場合、扉が圧力差でいきなり勝手に開いたりしないようにするためです。なんで潜水艦のハッチは外開きだし、航空機のハッチは内開きなんです(旅客機のハッチは一見外開きに見えますが、実は一旦内側に開いてから外側に開く特殊な方式)。
 かように瑣末なことが気になっちゃうんですね、理系は…困ったもんだ。まああんまり映画に対して無粋なツッコミすると故淀川長治さんに怒られますのでこの程度で(笑)。

 では前回の続きから。

 『電夢時空2 RUNNER』講談社1999年5月発行 講談社『アフタヌーン』98年9月号〜99年4月号掲載
 タイトル見ると前回紹介した「電夢時空」の続きみたいですが、実は全く無関係。
 ある衛星放送業者が”ランナー”と呼ばれるサバイバルゲームを衛星放送回線経由で中継して視聴者に楽しませる体感ゲームシステムを開発した。モニターをつのり試験運用を開始するが、その試験運用の段階で事故が発生する。単なるペイント弾での模擬戦闘だったはずの仮想戦場で実弾兵器が混在していたのだ。やがてランナーたちが次々と殺害されていく。全世界に公開はされているが閉ざされた空間で見えない敵との壮絶なバトルが開始される。
 煽り文句書くとこんな感じです。正直な感想を言うと、残念なことに前作に対しかなりイケてない。 ビジュアル的にはランナーのスーツとか兵器とかがSFっぽいですが、厳密にはSFではありません。バトル中心のスペクタクルものです。別にスペクタクル物でもかまいませんし、それなりに迫力もあるのですが、前半に設定していた遠隔視聴ゲームシステムが後半には全く生かされていない点が難です。なんでこういう構成になったのかちょっと理解に苦しみます。

 

 『牌の魔術師 哲也』竹書房2003年8月発行
 この本はいわゆるコンビニ本で、しかも単独著書ではなく共著になります。阿佐田哲也の麻雀短編小説をコミカライズしたものです。作品名をとりあえず列挙。
・「イーペーコーの女」
・「赤毛のスーちゃん」
・「山谷雀ゴロ伝(前後編)」
・「黒人兵キャブ(前後編)」
 原作はすべて阿佐田哲也の短編集『牌の魔術師』収録作。各作品の初出の詳細は不明ですが、近代麻雀オリジナル2002〜03年頃に掲載されたと思われます。
 当然のことながら阿佐田哲也の麻雀小説が原作ですのでSF要素は一切なしです。でもなんかこのコミカライズ作品気に入りました。戦後の匂いを色濃く映す時代背景の描写もギャンブラーという底辺に棲む男女の機微の描写も上手く描けている。こんな感じの作品ならばいくらでも読んでみたいと思う。
 他にも竹書房で描いていないかと調べて見ましたが1作品しか判明しなかった。
・「裏内師」(原作:末田雄一郎)近代麻雀オリジナル掲載年不明
 掲載年月が不明なんで、今のところ未読です。ちょっと残念。

 

 「インスティゲイター −教唆者−」小学館『別冊ビッグコミック ゴルゴ13シリーズNo148』2005年7月発行に収録
 小学館「ゴルゴ13」のいわゆるペーパーバック版に添え物のように掲載されていた作品。扉には、第55回新人コミック大賞一般部門・佳作賞受賞作とある。名義は高山和雅でなくて和雄となっています。
 家族を交通事故で失いホームレス同然となった老人にある女性から奇妙な依頼をうける。伊勢神宮の式年遷宮に先立ち一般には隠されたある神事が行われる。そしてその神事に必要な生贄(神の子)を拉致し殺す手伝いをして欲しいと。
 ディープな伝奇SFの様相で始まるが、ページ数も36ページと短いことから展開が急すぎるのとオチがちょっと凡庸になっちゃってるのがとても残念。これが本当に新人の作品だとしたら大したものですが、あの高山和雅の作品と考えるとも一つの印象が拭えないです。
 てなわけで高山和雅は小学館の新人コミック大賞一般部門・佳作賞を受賞したわけですが、その後小学館で仕事した形跡は見られません。
 いろいろ調べてみると高山和雅は他にも新人漫画賞に応募していたことが判明。
 ・講談社1987年第17回ちばてつや賞 一般の部大賞受賞 高山和雄「THE KEEP」
 応募は『ガロ』での執筆をやめた頃ですね。大賞を受賞したので、どこかで作品発表があったのではないかと思われるのですが、いくら探しても掲載誌は見つかりませんでした(泣)。

 『天国の魚』青林工藝舎2014年9月発行 青林工藝舎『アックス99号』2014年6月発行、Webアックス「放電横丁」2014年7月〜8月掲載
 これが現在のところ高山和雅の最新作品です(後述しますが、もう1冊出ました(汗))。いちおう『アックス』やWebマガジンに連載形式で掲載されましたが、実質は描き下ろしのようです。
 西暦2030年北米カリフォルニア半島南西1500kmの太平洋上に彗星が落下した。ある離島で暮らしていた5人の家族は迫る津波から逃れるために用意されたシュルターで難を逃れようとする。やがて巨大な津波が島を飲み込み、あわやと思われた彼らが目を覚ますと何故かそこは60年前の1970年の新宿であった。単なるタイムスリップではなかった、彼ら5人には1970年の新宿で生活を営んでいた状況が残されていたのだ。5人は状況を受け入れ生活をつづけたが、やがて奇妙なことに気がつく。12歳ずつ年の離れた彼ら5人の内の年長者が亡くなると必ずなくなった人間によく似た新しい家族が増えるのだ。12歳違い、5人、そして60年。その奇妙な符丁に気がつき始めた時、今の現実が崩れ始め、彼らの眼前に重大な決断を迫る新たな現実が出現する。
 彗星落下、タイムスリップ、ヴァーチャルリアリティ、量子物理学。主要なSF要素を叩き込んだ高山和雅入魂の作品といえる。
 この本の裏表紙には『電夢時空』のカバーに書かれた言葉が少しだけニュアンスを変えて英語で再度記載されている(前編参照)。”私自身の戦い”という部分は”マイ ミッション(私の使命)”となっていた。
 ネットのレビューを見ても読者の評価は悪くない。しかしこの本を手にするマンガ好きはあまり多くはないと思う。重版がかかったというアナウンスも聞こえてこなかった。

 『天国の魚』の発売の翌月に刊行された『アックス』101号に高山和雅のインタビューが掲載された。高山和雅を持ち上げようとするインタビュアーとこの手の漫画を描くことに対する絶望感を語る高山和雅の奇妙に噛み合わないインタビュー記事だった。そのインタビューで高山和雅は”これは遺書なんです。そういうつもりでかいたんです。もう作品を発表するあてもないし、これで終わりだなと思って。”と語った。
 あまりに悲痛な言葉である。想いを届けたい作者がいて、それを受け取りたい読者もいる。でも商業主義にうまく乗ることが出来ない。そんな作品が今までどれだけあっただろうか。
 高山和雅氏には、”まあ、気持ちは充分わかるけど、そんなこと言わずに描き続けて欲しい”と伝えられるなら伝えたいと思う。

 本来これで文章を締めくくるつもりだった。ところがこの原稿の締切日当日(11月29日)に高山和雅の新刊が発売されていることに気がついた。あいかわらず綱渡りのような原稿執筆である(笑)

 それがこちら。
 『魂魄巡礼』青林工藝舎2016年11月発行。
 収録作は
・「善光寺巡礼(ビリーバー 信者)」
・「犬童平助裏暦絵日記」
・「犬童平助裏暦絵日記(ダキニ編)」
・「クモマッカシッケ」
・「インスティゲーター(教唆者)」※加筆修正あり

 「犬童平助裏暦絵日記(ダキニ編)」と「インスティゲーター(教唆者)」以外は未発表作と描き下ろしから構成されている。
 SFでもないし純粋な伝奇物でも無い作品集ではある。それでも新しい高山和雅の単行本を片手に今夜は祝杯をあげたいと思う。

 

 

 

東京都公安委員会許可第301020205392号 書籍商 代表者:藤下真潮