店主の雑文

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腐海のほとりに佇んで    藤下真潮
錆びた自転車の車輪を眺めながら 第4回 Boichi「ORIGIN オリジン」
初出:「漫画の手帖 」 

 

 前編:

 今回は日和も良い(?)ので脱線する前に作者紹介くらいしておこう。
 えー、Wiki先生によるとBoichi(ボウイチ)、本名:朴武直(パク・ムジク)、1973年韓国ソウル出身、デビュー作は1993年『少女漫画』だそうである。

 デビュー作が『少女漫画』ってのは、作品タイトルが『少女漫画』なのか、ジャンル的に少女漫画でデビューしたのかがよくわかりません。Wiki先生も意外なところで役に立ちません。困った先生です(汗)。

 読めないハングル文字で検索と機械翻訳を駆使して探ってみたところ一応次のように判明。
 1993年5月に少女漫画雑誌「ミール」(エリート出版1991年10月〜93年)で「こんにちは! キャプテン」というタイトルの少女漫画でデビューのようだ。「ミール」という少女漫画雑誌は3年持たずに廃刊しちゃったんでネット上にもほとんど情報がないぞ。
 なんとか「ミール」の表紙画像をネットから入手したけど当該号ではないし画像も荒くて申し訳ない。そんなわけでタイトルはわかったけれど内容的にはさっぱりだ(笑)。


 一方日本でのデビュー作はヒット出版コミック阿吽2004年7月号「La Parisiene パリジェンヌ」。韓国デビューが少女マンガで、日本デビューがガチのアダルト作品というのもなんだかすごいぞ。
 こちらは一応単行本が日本で出てるので、情報的にはバッチリだ。ただし画像的にもバッチリすぎるので、多分編集Fさんの検閲入るぞ(笑)。

 


 店主がBoichiを知ったのはモーニング誌2006年25号に掲載された「HOTEL」から。
 海水温上昇のポジティブフィードバック止めることが不可能となった近未来、人類は滅亡を受け入れ地球上の他生物に対する贖罪としてすべての生物のDNA情報を保管維持する「HOTEL」を建設する。
これは西暦2079年〜2703万4732年の永きに渡り「HOTEL」の支配人としてDNA情報を守り続ける人工知能(AI)の物語である。


 ずいぶんマニアックなSF作品を描く漫画家がいるなぁというのが店主が感じた第一印象だった。

 さて作者の紹介も済んだことだし、とりあえずまあ脱線してみようか(笑)

 店主は昔工学系の大学にいたという話は以前した。所属していた大学の専攻は電子工学であったが、当時出始めたパソコン(当時はマイコンと呼ばれていたぞ(笑))にどっぷりハマりやがて転落?の末、当時PC−9801というパソコンを出していた某コンピュータ会社に転がり込んだ。
 主に社内設備関係の制御系ソフトウェア開発をしながらも当時の夢は人工知能を作ることだった。今ではもう遠い夢であるが何故夢を諦めたのかを説明せねばなるまい(そ、そうなのか)。

 はい、ここから先ちょっと(ちょっとじゃないか)面倒な話になります。覚悟してね(笑)。
 コンピュータ科学の人工知能に関する基本問題にチューリングテスト(1950)と呼ばれるものがある。アラン・チューリング(1912-1954)という初期コンピュータ科学の天才が考案したテストで、要はある機械が知性的(人工知能)であるかどうかを判定するためのテストである。
 具体的にはAという人間の判定者が、BとCの二つの被検体(一方は人間で一方は機械)とキーボードとディスプレイを使用して対話する。Aの判定者はBとCのどちらが機械であるかを確実に判断しなければならない。判断できなければその機械は知性的だと判定される。

 これはコンピュータ科学系の人間には割と受け入れられたが、哲学系の人間にはちょっと受け入れ難いもののようであった。

 1966年MITのコンピュータ科学者ジョセフ・ワイゼンバウムがイライザ(ELIZA)という自然言語処理プログラムを開発した。
イライザはごく小規模な知識ベースと単純なパターンマッチングによる会話システムであり、中身を知っていればとても知的という判断はできないものであった。
しかし会話のシチュエーションを限定すれば一時的には相手が人間だと誤解するような会話を行えたことから、人工無脳(無能ではなく無脳)とよばれ、たとえ知性的なシステムでなくともあたかも知性的であるように見せることが可能だという証明ともなった。

 そして1980年にはジョン・サールという哲学者が「中国語の部屋」というチューリングテストへの反論となる思考実験を提唱する。
 単に理解していない記号を処理しているELIZAのようなソフトでもチューリングテストに合格できる。理解していないのならば、人間がやっているのと同じ意味で「思考」しているとはいえないということだ。したがって、チューリングのもともとの提案とは逆に、チューリングテストは機械が思考できるということを
証明するものではないとサールは提唱した。

 その「中国語の部屋」とは次のようなものである。

 ある小部屋の中に、生まれてこの方アルファベット以外の文字を見たことのない人間を閉じ込める。最初の論文時の例だと英国人だったので英国人ということにしよう。
 この小部屋には紙のカードをやり取りできるくらいの小さな窓が空いていて、この小窓を通して中の英国人に外部からカードが差し入れられる。そこには彼が見たこともない文字(漢字)が並んでいる。
本当はそれは中国語の文章なのだが、いままで漢字というものを見たことがないこの英国人にしてみれば、単に「●△×〒」といった意味のない記号の羅列にしか見えない。
彼の仕事はこの小部屋の中で、差し入れられたカードに書かれた記号列(中国語)に対し、新たな記号列を書き加え窓から返却することである。
どういう記号列が来たら、どのような記号列を書き加えればいいかは部屋の中にある1冊のマニュアルの中に全て書かれている。
 例えば「●△×〒」と書かれていれば、「@#%」と書き加えるというふうに全てマニュアルに記載されている。彼はこの作業をただひたすら繰り返す。
 外から記号の羅列されたカードを受け取り(実は部屋の外ではこのカードを差し入れることを"質問"と呼んでいる)、それに新たな記号を付け加えて外に返す(カードの返却は"回答"と呼ばれている)。
すると、部屋の外にいるカードを差し入れる人間(質問者)からは「この小部屋の中には中国語を理解している人がいる」というふうに見える。
 しかしながら、小部屋の中には英国人がいるだけである。彼は全く漢字が読めず、作業の意味を全く理解しないまま、ただマニュアルどおりの作業を繰り返しているだけである。それでも部屋の外部から見ると、中国語による対話が成立している。
 つまり知性がなくても(英国人であっても)あたかも知性があるよう(中国人)に見せかけることは可能であり、チューリングテストは知性を判定できないと主張したのだ。

 しかしこの思考実験によってジョン・サールが勝利したかといえば実はそんなことはまったくない。
 中国語の部屋(被検体)の中にいるのは中国語(知性)を理解しない英国人なのでそれは知性(知能)とは言えないというのはたしかに正しい。
 しかし英国人単体で見るのではなく英国人+マニュアルという小部屋まるごとであれば中国を解するとみなすことができるので小部屋としては知性的であると言える。しかも厳密に言えば人間ですら自分の頭の中にいるのが中国人なのかそれともマニュアルと一緒に小部屋に閉じ込められた英国人かを判断することができないのだ。そうであれば何を持ってそのシステムが知性的であると証明できるのか。
 問題の根源は知性(知能)というものを誰も見たことがないし、誰も定義できていないし、誰も触れたことがないということにある。

 店主としては英国人+マニュアルであっても知性であるというのに賛成する立場であるが、どうせ作るなら知性を模倣したシステム(弱いAI)ではなく、根本構造から知性的であるシステム(強いAI)を作りたかった。
 しかしながら定義できないものというのはアルゴリズム(ある問題の解法を手順化すること)化できないのである。だからもし知性を作ることが可能だとしたら、それは直接知性をプログラミングすることではなく、知性の器を作りそこに知性が成長するのを待つというやり方しかないと思われた。知性はおそらく自然発生的にしか存在し得ない。そう結論づけたことで店主は人工知能(AI)を作る夢を諦めたのである。

 さて盛大に脱線してなかなか本論に入らないけど、実はここで前編終了だ。脱線したまま後編に続くぞ!。なんて酷いコラムだ(笑)。

 というわけで(どういうわけだ?)後編です。前編は脱線したまんまで、このまま脱線し続けようと思ったのですが、約3.7名(だからなぜ端数?)程からいい加減にせーよとの貴重なご意見を承ったので、さすがに本論に戻そうかと。今回はあんまり脱線しないように気をつけます。というわけでBoichi「ORIGIN オリジン」です。
 ヤングマガジン2016年40号より連載開始。単行本は2019年2月に第9巻が刊行された。2019年2月現在もまだ連載中です。

 どんな話かをまず紹介。
 舞台は2048年の東京。大陸横断ユーラシア鉄道の終着点である東京にはすべての富と犯罪が満ちていた。主人公のオリジンは父・田中久重博士によって作られたロボットである。田中久重博士はオリジンをプロトタイプとし米軍から依頼された人間そっくりの戦闘用ロボット8体を開発していたが、超巨大企業AEEの陰謀により殺害され工場も焼き払われてしまう。残されたオリジンは父・田中久重博士の残した「ちゃんと生きていくんだ」という言葉をセントラル・ドグマ(根本原理)とし、自らを人間そっくりに改造し人間社会の中にひっそりと溶け込み生きていこうとしていた。
 そんな矢先、燃え尽きてしまったと思っていた戦闘用ロボット8体が生き残って人間を殺戮していることを知る。オリジンは罠を仕掛けその内の一体を戦闘により破壊し、戦闘を通して残りのロボットに「むやみに人間を殺すな、互いの接触は互いの利益にならない」とのメッセージを送った。理性的な判断をするロボット同士であればこのメッセージはきちんと伝わるはずだった。オリジンにとっては誤算だったのは、戦闘用ロボットのリーダーがすでに感情を有しており理性的な判断よりも感情的な判断(仲間の復讐)を優先したことだった。そして人間社会を巻き込んだロボット同士の壮絶な死闘が始まった。
 これがまあ、1巻辺りまでの出だしの展開である。

 基本的な設定として主人公のオリジンは、人間そっくりに偽装し、人間のふりをして周囲をごまかせる程度の知性は持ち合わせている。しかし自我も感情も持ち合わせていない。そしてそれを自分自身で自覚している弱いAIという設定である。



 ざっと後半までの展開も語ろう。
 AEEの同僚である広瀬マイを戦闘ロボット達から助けた経緯からオリジンのセントラルドグマには「広瀬マイを守る」という項目が追加される。そして出張先の京都の地下深くでAEEに開発された世界最高の人工知能”Y”に出会う。その究極の知性が追い求めようとする太初の神。”Y”に知性のアップグレード方法を求める戦闘用ロボットたち。ロボットたちに「神」を見いだし、アップグレードに協力する者たち。謎の少女ロボットの人工頭脳の仮想空間上にシミュレーションとして存在する知性体。3億年以上昔に生物たちの神経系の海から誕生した「情報生命体」。ありとあらゆる種類の知性体が出現する。そしてついに戦闘用ロボットのリーダー”正宗”は人間の5千倍にも及ぶ知能の実現手段を入手する。

 「広瀬マイを守る」という行動により徐々に追い詰められるオリジン。やがて北海道の地まで広瀬マイとの逃避行を行い、そこで広瀬マイを失う。そして広瀬マイを失った衝撃によりオリジンは自我と感情を獲得する。初めて得た感情は絶望と憤怒だった。オリジンは広瀬マイが残してくれた2億3千万円の資金で自らを再改良し、戦闘ロボットたちへの復讐を開始する。神となるのは正宗かオリジンか? これが9巻までのかなりあらっぽい粗筋である。

 



 読んでいる最中、店主はずっと引っかかり続けた点がある。オリジンは広瀬マイを失う前は自我も感情も持っていないという設定だが、これは本当にそう言えるのだろうか。死の瞬間まで広瀬マイに愛情は持っていなかったとしても守りたいという思いはあったはずだ、それはやはり感情とは言えないだろうか。そして作者は感情と自我は自然発生でしかありえないという立場の設定を行うが、店主としては自我については同意はするが、感情については基本的に機械的なものでありプログラミング可能なものだと考えている。ただしこれに関して議論することはもちろん無意味だ。自我も感情も見ることも触れることも計測することもできないのだから。

 そういった引っ掛かりがあるにしても、この「オリジン」という作品は素晴らしく面白い。一つはストーリーがしっかりとエンタテイメントしていること。そしてハードSFとして科学的な説明に破綻がないことである。
 例えば人間の姿かたちをしたロボットが、重量200kgのタングステン棒を時速350kmで射出する。運動エネルギーは100万ジュールとなり、発射の反力は当然ロボット側の足腰にも負担となる。さらに射出に要したエネルギーでタングステン棒側に伝えられなかった残エネルギーはロボット側に熱として蓄積される。だから冷却は非常に重要となる。こうした作者の説明は、さすがちゃんとしたSF作品を描きたいから大学では物理学を専攻したというだけのことはある。ここまで科学的にきちんと説明しているSF作品はちょっと見当たらない。

 

 別にSF作品だから完璧に科学的に正しい描写をする必要があると言っているわけではない。エンターテイメントなんだから細々とした説明的な設定よりも面白さを追求するのは構わない。ただし読んでてシラケルような間違いを平気で書くのはやめてほしいのだ。特にハードSF的なノリを目指した作品ならば。

 マンガを引き合いに出すとアレなんで、映画を持ち出します(淀川長治先生ごめんなさい)。例えば「ガンダム」。演出家は宇宙空間で戦闘するということがどれだけ大変なのかをあまり理解していないようだ。艦隊戦で例えばホワイトベースからガンダムが出撃する。当然艦隊戦なんで船は最大船速に近い速度で航行している(のろのろ走れば袋叩きに合うからね)。ホワイトベースの最大船速はマッハ12だそうである。宇宙戦艦としてはずいぶん遅い(アポロ11号の3分の1程度)がまあいいや。ガンダムの装備重量が60トンあるのでホワイトベースから出撃した際の運動エネルギーは500メガジュール程度となる。これはTNT換算で120トンほど、最近米軍が作りたがっている小型核弾頭の爆発エネルギーと同じくらいである。つまりガンダムが出撃したあと、敵のモビルスーツと接敵するために停止するには小型核弾頭の爆発と同じエネルギーが必要なのだ。そしてどういう機能でほぼ瞬間的に停止するのかは不明だが、どのような手段であったとしても本体外部にエネルギーを放出できなければ、500メガジュールの熱エネルギーはそのままガンダムの内部にとどまることとなる。エネルギー保存の法則というのは、つまりそういうことなのである。

 もう一つ引き合いに出そう。「009 RE:CYBORG」というアニメ映画があった。作中前半にヘリから飛び降りたフランソワーズをジョーがビルから飛び降りて救出するシーンがある。ジョーはすでに自由落下中であるにもかかわらず加速装置を作動させフランソワーズの落下に追いつき無事救出する。おもわずシナリオライターをハリセンで叩きたくなった。どこをどう捻じ曲げても重力加速度を任意に変更できる可能性を私は思いつかない。正確であれとは望まない、しかし根本的な間違いや嘘はないように少しは勉強してほしいとは思う(要するにビルの壁面を駆け降りるシーンならば正解)。

 徐々に訂正されてきてはいるが、昔からの科学的逸話の間違いに空気との摩擦熱という話がある。超音速で飛ぶ航空機や隕石が高温になるのは空気(大気)との摩擦熱であるというのが科学の入門書にまで書かれていた時代がある。空気との摩擦は零ではないが実はそれほど摩擦があるわけでもない。かりにもし摩擦により温度が上昇するというのなら、航空機の先端ではなく流速の早まる側面のほうが温度が高くなるはずである。実は先端部が高温になるのは断熱圧縮によるものである。要は空気がぶつかったときの運動エネルギーが熱へと変換されているということなのである。

 脱線しないと言いながら盛大に脱線して愚痴をこぼしたけれど、要するにもっと面白いハードSFが読みたいよ、ということなんです。だからBoichi「ORIGIN」には本当に期待しております。2019年6月に最終巻となる第10巻が刊行予定である(ついさっき気がついたぞ(笑))。今から完結が本当に楽しみである。
 だったら完結してから書けばよかったんだけど、まあザルな店主のやることなんで許してね。

 

 

 

東京都公安委員会許可第301020205392号 書籍商 代表者:藤下真潮