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『画本柳樽』初編・二編

八島五岳:画

天保11年(1840年)、弘化二年(1844年)
値段:50,000円 売切

 

表紙

二編奥付:
初編から7編まで刊行。
八編は夏に刊行、九編も引き続き刊行予定
と書かれているが、実際にどこまで
刊行されたかは不明。

 

 

 「画本柳樽」は、明和〜天保年間にかけて刊行された「俳風柳多留」から選び出した川柳に絵をつけたものである。
 今回の本は初編と二編を合本に仕上げたものである。
 少々手ずれがあり、のど元に虫もあるが、読み込まれることが多かった本としては状態はよい方である。

 各編20丁(40ページ)で、半丁(1ページ)に5,6点の絵と句が掲載されている。かなり絵の分量が多い本である。

 滑稽・風刺を主とする川柳によく似合う、軽妙洒脱な絵である。

 川柳本は当時、非常に売れていたようである。この本の序に次のような記載がある。

 「『銭金を 貯めるにもまた 金がいり』という狂句の後を追って、予は『身上を 潰すにも また金がいり』という句を作ったことがある。つぶすにしても貯めるにしても、とかく元手が必要である。最近、版元が多少の元手で金儲けしようとして、この本を依頼しに来た。依頼の後で一席設けてくれたが、予は笑って『義理ばった やつに限って 銭が無き』という句ある。多少の元手にて金儲けしようと思うのだったら、こんな義理事はやめたほうがよいと云った。版元は笑って、同じ狂句に『才のある やつに限って 銭は無し』といいます。先生も金が欲しかったら画作などの家業は辞めて商人になった方がよいと云った。二人で大いに笑って、その後、筆を執った」
(注:結構意訳しました)

 この結果どうなったかというと、二編の序には次のように記されている。

 「画本柳樽大いに売れて一万余冊に及ぶ・・・後略」

 話半分だとしても当時の出版状況からすれば、大ヒットしたようである。

 

 

川柳も文字だけでは分かりにくいものが多い。
たとえば『麦ばたけ ざわざわざわと 二人にげ』という句も字面だけだとピンと来ないが
絵とともにみれば、ああ成る程と合点がいくものが多い。

また現代の漫画にも通じる豊かな表情が川柳のおもしろみを倍加させている。

『かわきり(最初のお灸)は 女にみせる 顔でなし』

川柳のネタには忠臣蔵ものも多かった。
このあたりは、忠臣蔵をある程度知らなければ分かりにくい句も多いが、
当時の一般人の教養を伺い知ることが出来る。

右ページ、右上段:『由良はめかくし もろ直はかくれんぼ』
(由良は仮名手本忠臣蔵における内蔵助を指す。もろ直は吉良を指す)
右ページ、左上段:『かな手本 いの字は京に わび住まい』
(大石内蔵助が京都山科にこもったことを意味する)
左ページ、右上段:「王羲之も およばぬ義士の かな手本』
(王羲之は中国の書聖と呼ばれた書家)
左ページ、左上段:『孝よりも 忠義は 二十三多し』
(孝は中国の二十四孝{二十四人の親孝行者}を意味する。47−24=23)

また川柳にはバレ句も多く、江戸の庶民の性に対するおおらかさも伺うことが出来る。

右ページ、右上段:『いよ おばあさんと 若後家 いやがらせ』
右ページ、左上段:『若後家へ モウ入れ札が 五六人』
右ページ、右中段:『下女がフミ 読むではなくて 判じ物』
右ページ、中央中段:『下女が腹 心当たりが 五六人』
続いて
右ページ、左中段:『なかで気の よさそうなのに 下女かぶせ』
(結局、気の弱そうなのに押しつけるわけですね)
右ページ、右下段:『若だんな 夜は拝んで 昼叱る』
(拝むのは観音様か?)
右ページ、左下段:『いうことを 夜きく下女は 昼きかず』

左ページは旦那の留守中の密通シリーズ。
中段から連続
『女房も 岩戸をひらく 旅の留守』
『旅の留守 亭主のような ものがいる』
『旅の留守 うちへもゴマの 灰がつき』
(護摩の灰は旅中での盗賊の意味)

きりがないのでここら辺でお開きと・・・m(_ _)m

東京都公安委員会許可第301020205392号 書籍商 代表者:藤下真潮